数の一致と否定

He don’t …

主語が三人称単数であるのに動詞が複数の形態をしている例、あるいは主語が複数であるのに動詞に-s語尾がついている例などは、多分に方言と関連しているところがあり、現在、さまざまな英語の変種で観察できますので、一見すると、これは単なる誤用に見えるかもしれません。

ところが、このHe don’t … について、中村不二夫「He don’t careの慎ましやかな訴え — 否定辞縮約形 don’t と doesn’t の競合の歴史 –」 (米倉綽・中村芳久(編)『英語学が語るもの』pp. 87-108, くろしお出版, 2018) という興味深い論考がありましたので紹介いたします。

中村 (2018) は、カーペンターズの歌の中にあるHe don’t careから出発して、1500年から現在までのdon’t, doesn’tの歴史を、膨大なコーパスで検証します。初出に関しては、don’tの方がdoesn’tよりも若干早いようですが、いずれも17世紀からのようです。論考では、Brainerd (1989), OED, Nakamura (2011) の調査結果が示されています。

しかしながら、その後どのように両者が広がりながら英語に浸透していったかということで言うと、圧倒的にdon’tの広がりが早く、doesn’t の足並みはかなりゆっくりしたものであったようです。ですから、史的文献の中では、19世紀の後半にdon’tがdoes’tに凌駕されるようになるまでは、英語の普通の語法として、主語が三人称単数でもdon’tを使用する人が多かったとのことで、それが具体的なデータとともに示されています。

現代英語のヴァリエーションについて考えるときに、歴史的な視点が不可欠であることを示してくれる調査結果だと思います。否定は、多重否定の問題も含め、いろいろな場面で英語の文体や方言の問題として取り上げられることが少なくありませんが、否定構文の歴史を見ると、少し意味付けが変わってくることがあります。ここで取り上げたhe don’t … もその一つだと感じました。

上で参照した文献は以下のようになります。

  • 中村不二夫. 2018.「He don’t careの慎ましやかな訴え — 否定辞縮約形 don’t と doesn’t の競合の歴史 –」米倉綽・中村芳久(編)『英語学が語るもの』pp. 87-108. くろしお出版.
  • Brainerd, Barron. 1989. “The Contractions of not: A Historical Note”. Journal of English Linguistics 22: 176-196.
  • Nakamura, Fujio. 2011. “A History of Negative Contractions”. Data sheets distributed at the Historical English Word-formation and Semantics Conference, Warsaw.