雅と歴史 — 旧伊藤伝衛門邸

炭鉱王・伊藤伝衛門の生涯

旧伊藤伝衛門邸が一度は売却されながら、飯塚市の管理下に戻って、現在このような形で見学できるのは、本当にありがたいことだと思います。地域の人々の熱意に感謝です。

出光興産を起こした出光佐三のところでも学びましたが、燃料はどの時代にも、どの社会にも必須アイデムですから、一旦軌道に乗ると、たいへんな富を生み出します。もちろんどの燃料を使用すかというのは大きなサイクルで変化してきた歴史があるわけで、繁栄が永久に続くとも限らないところが、アイロニーでもあります。

石炭が必須アイデムであった時代に、これをもとに大変な富を築き上げた石炭王は多く、炭鉱が多く存在した九州地区では、その邸宅が現在でも公開されている場所がいくつもあるようです。少し前には、唐津の旧高取邸を見学しました。今回は、飯塚市幸袋町の伊藤伝衛門邸です。

伊藤伝衛門の生涯がまさに波乱万丈であったことは、ウィキペディアの情報からもわかりますし、何よりも2度目の妻に迎えた柳原白蓮との関係は、歴史にも刻まれるほど有名です。白蓮は朝ドラにもなった村岡花子のご学友であったこともあり、関心をもつ人は少なくありません。また、人々は平穏に生きたいと思いながら、他の人の人生となると、アップダウンが激しく破壊的な生き方に共鳴するという不思議な傾向を持ち合わせているようです。旧伊藤伝衛門邸が人々の心を引き付けるのには、そのような理由があるのかもしれません。

地域に居住していない人にとっては、若干不便な場所に感じるかもしれませんが、一度訪れてみたい場所の一つであることには間違いありません。25室、ゆっくりと見学することができ、ほとんどの場所は写真撮影も可能です。展示室やお土産を買うことができる売店もあります。建物や庭のメンテナンスは大変だと思いますが、今後も多くの人に開放された現在の形で、公開を続けてほしいと思います。

歴史的に意義がある建造物を自治体や財団が買い取って維持しているという活動はこれまでにも進められてきたものだとは思いますが、これからもぜひ力をいれていきたいところだと思います。人口減少の中で、後継者がいないまま廃墟になっていく場所も増えてくる可能性がありますので、ますます意識的に動いていきたいところです。ふるさと納税なども活用しながらこの動きを強めていくことができればよいと思いました。

今回は、旧伊藤伝衛門邸を見学することで、伝衛門の生涯を学び、思いをはせる機会を得ることができました。大きな仕事をした歴史上の人物については、伝記を読むこともできますが、このような具体的な場所を共有することは伝記を読むことと同じような効果をもたらしてくれると思います。