日本語と英語、および国際性

堀正弘(著)『日本文化は英訳できるか、禅は西洋に根付くか』(熊本学園大学付属海外事情研究所、2024年)

『日本文化は英訳できるか、禅は西洋に根付くか — 俳句・公案そして佐々木指月の生涯』という大変興味深い研究叢書の1冊をいただいたので紹介してみます。

コミュニケーションや発信・受信のシステムが整った現在では、文化圏を超えた人間関係が当たり前になっていて、以前ほど文化の境界を意識することが少なくなったと感じます。異文化の存在には当然ながら意識を向けることになるのですが、それが割とすぐに手が届くところにあって、その違いを楽しみながら自由に行き来するといった感覚です。

これに対して本書では、俳句や公案、そして禅というかなりハードな異文化交流の歴史が語られています。この種の分野の日本語は日本語を母語としているものにも解読が容易ではないと感じます。言葉だけの問題というよりも、多くの日本人にとってももはや異文化である場合が多いからです。博物館等で仏教美術等に触れたときに、英語の訳を読んで初めて理解できるということがあるのと同じカテゴリーの問題だと感じます。

英語を専門領域とする著者は、その強みを生かして、しかも自身が禅の世界をきわめてきたという立場から、異文化交流のための重要なツールの一つである言葉にこだわった議論をしています。

読めば読むほど、翻訳とは難しい作業だと確信します。白足袋一つをとっても、その文化的意味を伝えることができなければ、ただ訳しただけでは意味がないこと、しかもそれが俳句であれば、長々と文章を連ねて説明することもできないことなど、具体的な事例を通しての説明の一つ一つが説得力を持っています。

一方で、それでも異文化を伝えることの意義が伝わってくるのが本書の面白いところです。禅についての記述は本書の半分を占めていますが、とりわけ読者として興味を覚えたのは、どのようにして禅が世界に広まったかということ。いつの時代にも、文化を伝えるために具体的な行動を起こす人たちがいて、その人たちの生き方が世界を変えていくのだとあらためて感じました。(2024年)

益岡隆志(編)『日本語研究とその可能性』(開拓社、2015年)

開拓社から『日本語研究とその可能性』が出版されました。献本をいただき、ありがとうございました。本の紹介をさせていただきます。

本書には、日本語に関する多様な論考が含まれています。まえがきに記載されているように、企画にあたっては二つのテーマが意識されたとのことです。一つは「異なる分野・アプローチ間の対話・交流」(p. iii) であり、もう一つは日本語研究の国際性です。

読者の側もこの点を意識して読まなければ、少し全体の流れがつかみにくいかもしれません。音韻論の部分などは母語話者としてあまり意識していなかった点が多く、日本語を専門としてない人には、かなり集中力を必要とする記述もあります。前半部分は、分野への知識があまりない、あるいは用語に慣れていない場合は、何度か戻りながら読む必要があるかもしれません。

全体としては、後半にいくにしたがって英語をはじめとする外国語と日本語を比較しながら、日本語を相対的に捉えていく印象が強まっていきます。何らかの外国語を言語的に分析している人にとっては、後半は比較的読みやすいと感じるかもしれません。

日本語のような言語を、専門性を維持した形で国際的に広く議論していくことは、急務だと感じます。技術的にはなかな大変な部分も多いと思います。そんなことを感じさせる一冊でした。